折尾駅です。
駅舎は古い感じが良く出ています。
説明によりますと「明治24年2月、九州北部の幹線鉄道である九州鉄道会社の折尾駅が開業、そして同年8月に、筑豊地区の石炭を若松港まで輸送する筑豊興行鉄道会社が開業しました。明治28年6月30日、両社は石炭輸送の便を図る為、折尾駅にて連絡線を敷設し、相互乗入れ運転を始めました。明治30年4月、両社の合併により、折尾駅は九州鉄道株式会社折尾駅として再出発、そして明治40年国有化により鉄道局の管轄下に入りました
治28年6月30日、両社は石炭輸送の便を図る為、折尾駅にて連絡線を敷設し、相互乗入れ運転を始めました。明治30年4月、両社の合併により、折尾駅は九州鉄道株式会社折尾駅として再出発、そして明治40年国有化により鉄道局の管轄下に入りました。このように、当初二つの会社がそれぞれ駅を造っていた為複雑な構造となっています。また、日本ではじめての立体交差構造をもち、一階と二階のホームを結ぶ煉瓦造りの連絡通路等建設当時の面影がよく残っています。駅舎は、大正5年に建設された木造2階建で、寄棟屋根と屋根窓の付いた入口を持つ中央棟と翼部から構成されています。なお、外観は改修されており屋根窓につけられた車輪の装飾は建設時はありませんでした。駅舎内部は、円柱と下部に設置された木製ベンチ、そして円柱頂部の補強と装飾を兼ねた金物が開設当初の雰囲気を残しています。」とのことです。
そして,これは,きっとそうだって思ったのですが,帰倉後に確認すると 折尾駅前の銅像です。

大正3年(1914年)、旧西鉄電車の前身である九州電気軌道の終点折尾停留所が完成しました。この橋梁は、折尾停留所へ接続する3連の煉瓦造りアーチ橋として造られました。この橋梁は、アーチ内の煉瓦が斜めに積まれる「ねじりまんぽ」という特殊な構造で造られています。この橋梁下は、地域の生活幹線道路として使われている為、通行者への配慮として装飾性の高い技法が採用されたようです。なお、西鉄電車は、平成4年10月砂津〜黒崎間が廃止、平成12年12月には折尾〜黒崎間も廃止され、北九州市内の路面電車は全線廃止となりました。」とのことでした。

宿は黒崎に取りました。井筒屋さんがありますが,X'mas モード全開でした。
公園廻りですが,上は産医大の直ぐ横の医生ヶ丘公園です。
ここも大学の直ぐ近くの大浦東公園です。 本城西公園 千代ヶ崎中公園です。おおきなタワーのマンションの真ん中でした。
ここは,朝に訪れた折尾駅の東側,「くちなしの池公園」です。

冬ざれた街でしたので,公園も,緑も,既に秋色も散り気味で・・・寂寥が押し寄せます。